インスピレーションや大声で怒鳴りたいことを文字化する
日曜日にいつも見ているテレビ番組「小さな旅」のあと、偶々そのままNHKを見ていた。4月の番組改訂で再び「ようこそ先輩 課外授業」の時間になったようで、この改訂は評価できると思った。(少し前にこの時間にこの番組があったとき、人形浄瑠璃文楽で人形遣いをされている桐竹勘十郎さんが取り上げられたことがある。2Lのペットボトルを使って人形を作って動かしてみる。話を作って劇にしてみるというのを大阪の小学生がやっていて興味を持ったことがあった。その後、鶴澤燕三6の仲介で勘十郎さんと面識になった。)本日の先輩は大黒麻紀で、学校は札幌の藤学園(女子校、中島みゆきも此処の卒業)、クラスは2年5組だった。大黒は、「B5版のリングノートの右のページにポジティヴな心の声を、左のページにネガティヴな気持ちを書いて、自分って何なのか考えましょう。」と言って、その後表現された言葉を繋いで曲を作って歌うと後輩に告げた。
まあ、なんか目新しいことのように今の子は取っていたなぁ。(画像の中では)中学生の頃(共学の公立中学)ペンパルがいた。何の雑誌のペンパルか忘れたけど、多分『English Age』(百万人の英語ラジオ講座のテキスト)あたりじゃないかなぁ。その相手が藤学園の高校2年生でスキー部のエースだった。名前は既に忘れたが、何通か戴いた手紙は今でもとってあると思う。字が綺麗だった。『女子校の女学生で体育会系の人の頭の中と気持ちはどんな風なのだろう?』と(今、タカラヅカを見に行くのはこの延長上で、歌って踊れて演技もできる一般女性が、男を表現する設定の上で作品上の役を如何に表現するかに興味がある。)、とても興味を持ったことだった。でも、便箋は最終ステージでその頃書いていた『日記の下書き』に閃いたことや最も興味のあることを書いて、推敲して練ってから便箋を埋めていた。その練った中で一方的な思い入れの強いようなものを一般化するか物語化して、『日記』に載せていった。黒猫院にある詩抄『黒燈の詩』よりも前のことだった。その練習から高校に進んだ時に日記の替わりに『詩』を書くようになった。ジャン=コクトーというフランスの詩人の詩(正確には訳詞)を好んでスタイルをマネしたところからの出発だった。
16歳くらいから書き始めた詩は、人に見せるくらいの段階までにくると随分言葉に包まれた状態になっている。また、一度書いたものを推敲してゆくと今度は完成度の高さを求めるようになってしまうので、最初のインスピレーションとは違うものになる。パソコンでホームページを作り始める少し前くらいから随筆(エッセイ)も書き始めた。その後、小説にも手を出してみた。今はエッセイが一番書きやすいが、まだ詩も書いてはいる。もう34-5年になるか。多分プロで無いにしても『書くこと』はライフワークになるだろう。そしてそれが、私を人間に踏みとどまらせている。自分と他人の境目の伝えなくてよいけど捨てなくてはならない言葉も同じように書きなぐってきた。そのもっとも最たるテーマが『愛』であったとき、そこにはいろいろと悲しい現実が横たわる。詩などには『恋』のように書いていたとしても、本当はもっと根本の『愛』だったりする。
「『人と人との間のインターフェース』というのが『愛』で、男女の情愛のみが『愛』ではない。」というのが私の基本スタンスではある。人生を半世紀ほどやってきたが、それほど真正面からそういうことに取り組んでいるような周辺の人が居ない環境であっても、インターフェースが希薄化しているのがよく解るようになってしまった。まだまだ心象のグダグダは続くように思うので今日はこの辺にしておこう。

まあ、なんか目新しいことのように今の子は取っていたなぁ。(画像の中では)中学生の頃(共学の公立中学)ペンパルがいた。何の雑誌のペンパルか忘れたけど、多分『English Age』(百万人の英語ラジオ講座のテキスト)あたりじゃないかなぁ。その相手が藤学園の高校2年生でスキー部のエースだった。名前は既に忘れたが、何通か戴いた手紙は今でもとってあると思う。字が綺麗だった。『女子校の女学生で体育会系の人の頭の中と気持ちはどんな風なのだろう?』と(今、タカラヅカを見に行くのはこの延長上で、歌って踊れて演技もできる一般女性が、男を表現する設定の上で作品上の役を如何に表現するかに興味がある。)、とても興味を持ったことだった。でも、便箋は最終ステージでその頃書いていた『日記の下書き』に閃いたことや最も興味のあることを書いて、推敲して練ってから便箋を埋めていた。その練った中で一方的な思い入れの強いようなものを一般化するか物語化して、『日記』に載せていった。黒猫院にある詩抄『黒燈の詩』よりも前のことだった。その練習から高校に進んだ時に日記の替わりに『詩』を書くようになった。ジャン=コクトーというフランスの詩人の詩(正確には訳詞)を好んでスタイルをマネしたところからの出発だった。
16歳くらいから書き始めた詩は、人に見せるくらいの段階までにくると随分言葉に包まれた状態になっている。また、一度書いたものを推敲してゆくと今度は完成度の高さを求めるようになってしまうので、最初のインスピレーションとは違うものになる。パソコンでホームページを作り始める少し前くらいから随筆(エッセイ)も書き始めた。その後、小説にも手を出してみた。今はエッセイが一番書きやすいが、まだ詩も書いてはいる。もう34-5年になるか。多分プロで無いにしても『書くこと』はライフワークになるだろう。そしてそれが、私を人間に踏みとどまらせている。自分と他人の境目の伝えなくてよいけど捨てなくてはならない言葉も同じように書きなぐってきた。そのもっとも最たるテーマが『愛』であったとき、そこにはいろいろと悲しい現実が横たわる。詩などには『恋』のように書いていたとしても、本当はもっと根本の『愛』だったりする。
「『人と人との間のインターフェース』というのが『愛』で、男女の情愛のみが『愛』ではない。」というのが私の基本スタンスではある。人生を半世紀ほどやってきたが、それほど真正面からそういうことに取り組んでいるような周辺の人が居ない環境であっても、インターフェースが希薄化しているのがよく解るようになってしまった。まだまだ心象のグダグダは続くように思うので今日はこの辺にしておこう。

# by Fuku-Sanzo | 2009-05-03 10:16 | 心象紀行の区分





